Waiveの4人が語る「再結成」と「解散」への思い

INTERVIEW

この記事は、2023年3月下旬に行った取材をもとに書かれている。実は、YouTubeで公開されている「計画」の告知動画「皆さまへ」の撮影に合わせて、4人のパーソナルインタビューを実施していた。改めて取材時の発言を振り返ると、まだ「計画」へのイメージがぼんやりしていたところもある。2本のツアーを行い、Waiveとして活動をしていく間におそらく変化しているだろうが、この記事は、あくまで「計画」発表前の心境として読んでいただきたい。

ご存知の方もいるだろうが、「計画」の発案者は杉本である。杉本が「1ミリたりとも誰の意見も介入させず、突然僕が言い出した」と言い切るように、彼から生まれたアイデアを、田澤孝介、高井淳、貮方孝司の順で杉本から話し、合意を得たのが再結成にいたる経緯である。合意するまでに紆余曲折があったふうではなく、少しずつ異なるにせよ、それぞれが「計画」に対して前向きに思うところがあるようだ。

田澤「解散中という概念が生まれて、よくも悪くも、どうとでもできちゃうようになったんですよね。自分が年齢を重ねて、実際問題、Waiveをいくつまでできるやろ?っていうのも考えて、ちゃんとWaiveとして見せたいものを見せ切れるのはあと1、2回できればいいほうなのかもと思うと、このままの状態では締まりがないよなって。いっそ区切りをつけたほうが…ってぼんやり考えてるときに、善徳君からこの話があったんです。だから、すごくシンパシーを感じました」

そもそも杉本が、何らかのアクションが必要だと感じたのは、新型コロナウイルスに翻弄され、思いがけず二回行うことになったLINE CUBE SHIBUYA公演の二回目の後。「これではダメだと感じた」ことがきっかけだ。

杉本は、バンドとファンとの関係性においても、このままではいけないのではないかという危機意識が生じたという。ファンの気持ちがわからないのではなく、想像したうえで、その求めに応じるだけでなく、人間として、人生において、本質的なより善い着地点を追い求めるのは杉本らしい考え方だと思う。

そして2023年4月11日、Waiveはもう一度スタートを切った。終点が定められている、最後の旅路である。

ファンやバンドの外側にいる人間は、バンドに一枚岩であることを夢見がちだ。けれども、現在の4人には、Waiveに対するそれぞれのスタンスがある。結成し、上京した20代の頃は、バンドに対して似たような夢を見ていたときもあっただろう。いまやメンバーはみんな40代、人生も折り返し、音楽活動への取り組み方、人生において大切にしたいことや守りたいものも異なって当然だ。それぞれの人生において、それぞれの意味を見出し、Waiveに向き合っている。「計画」に対する各自の思いを振り返ってみよう。

Rayflower、fuzzy knot、さらにはソロと、ミュージシャンとして自身の表現を追求し、精力的に活動を続けている田澤。当然、と言うべきか、ほかのプロジェクトとWaiveでは向かう意識がまるで異なるのだろう。「燃やし尽くす」というコンセプトに通じる気持ちを吐き出す口調はとても熱かった。

そんなふうに考えるようになったのは、解散後の彼の音楽活動に起因するという。バンドを離れ、自分で何もかもを動かし、責任を取らなければならない状態になったとき、「これまでは、責任を持ってやっていたようでやってなかったんだなと気づきました」と、Waiveでの自身の活動を違う視点から見られるようになったようだ。さらに、Waiveに対する評価も変化している。

2024年には、2000~2005年のリリース曲から、メンバー自選による楽曲を「再録」する予定だが、田澤は取材時にすでに再録への希望を語り、「(過去のレコーディングでは)曲のポテンシャルを活かしきれてへんっていうとこもあるから、曲をもっとよく聴かせたい」と発言していた。再録されてどんなふうに楽曲が仕上がるのか、いまからとても楽しみだ。

2005年の解散時は、「憔悴し切ってました」と振り返る高井。解散後、音楽の道を離れると決心し、新たな道を進み始めたこともあったが、現在はサポートも含め、音楽活動に邁進する日々を送っている。

このインタビューを通して、彼らしい独自の思考回路に触れることができたように思う。その価値観や思考は、ただ楽しかったとは簡単に言うことができないWaiveでの活動によって、強化されたところもあるだろう。

ある種、達観しているとも思わせる発言だが、物事そのものに良い悪いという性格が備わっているわけではなく、すべては自身の受け止め方が決めると彼は考えているのだ。だからだろうか、「計画」に対しても、そこに特別な何かを付随させるのではなく、いい意味でフラットな姿勢で臨んでいる。

とはいえ、「計画」に向かう熱い気持ちや、Waiveというバンドへの思い入れは強い。Waiveに強く期待しているからこそ、これからの活動、そして日本武道館へ向けて、「何をもって大丈夫かは難しいですけど、いや、この4人だったら大丈夫ですよ」と力強く、その明るい未来を断言してくれた。

この取材に一番イキイキと楽しそうに応じてくれたのは、意外にも貮方だった。音楽活動をしていないという、ある種の気楽さはあるのかもしれないが、社会人として飲食業界の会社に勤務する経験が彼を人間的に大きく成長させたように、個人的には感じる。

サラリーマンとして日常を生きている人間が、ステージに立って黄色い声援を浴びるというのはなかなか特異な経験だろう。そんな状況を、貮方は気負いもとまどいもなく、おおいに謳歌しているようだ。

自分の意思で決め、人生を切り替えた経験と、強いやりがいを感じながら取り組んでいる現在の仕事が、貮方を前向きにし、自信を与えている。おそらく2005年以前の貮方であれば、パーソナルインタビューでこれほど饒舌に語ることはなかっただろう。

そして、杉本とのつながりが、貮方にとって特別なものであることの影響もあるだろう。過去に二人を取材したときに、貮方がWaiveを続けていけるか悩んでいたとき、「にのっち(貮方)は、いてくれるだけでいい」と杉本が声をかけたことが大きな支えになったと語っていた。

内面も環境も充実しているからこそ、あれだけステージをノビノビと楽しみ、イキイキとプレイできるのだろう。これまでの人生の歩み、そしてそこで出会った人たちが、彼を輝かせている。

Waiveは、日本武道館という、有終の美とも言える終点に向けて出発した。それがどれだけ大きな目標であるか、4人はよくよく知っている。あえて具体的に言うならば、最高動員を叩き出した渋谷AXでの解散ライヴ(2052人を動員)の5倍近い数の観客を収容できるのが、日本武道館という会場である。この無謀とも言えるチャレンジを、4人はどう受け止めているのだろうか。

日本武道館での公演を言い出した杉本は、「武道館にすべてを賭けるしかないんですよ」と、日本武道館で解散することの意義を語る。

日本武道館のライヴ日程は未定だが、それまでもう2年間もない。ここからの活動ひとつひとつが日本武道館へと続いていくが、その歩みは決して楽なものでも、平坦なものでもない。それでも4人が力強く前へと進んで行くことは確かだ。その際に、どんな光景が広がるだろう。

3月の取材時から時間が経つに連れて、インタビューでの会話により深い意味を感じるような出来事が続いた。夏以降、4人にとっても特別な意味を持つであろうミュージシャンの訃報が相次いだことは、多くの読者が知るところだ。

この記事の最後に、杉本が“死”について考えたことが、「計画」の発案や実行に少なからず影響していた事実について触れておきたい。

父親との最期の会話で、“そのときには気づけないことに後から気づいて、取り返せないのが人生だよね”と話したという。そんなシビアな人生の真実を、肉親を喪うときに改めて確認したことは、Waiveのメンバーとして、ひとりの人間として、これからの人生を考えるきっかけになったのだろう。

杉本なりのけじめが、Waiveの終点を明確にすることだった。そこで、「計画」が始まった。それは同時に、ミュージシャンとしてではなく、ひとりの人間としての生き方を見つめた結果でもある。

26歳のとき、杉本は「いつか」の歌詞を書いた。“いつか死ぬ僕たちは”という真っ直ぐな言葉を、メンバーと同じように歳を重ねてきた当時のファンがいま耳にすると、さらに重い意味を感じるのではないだろうか。誰もが、限られた生を生きている。「計画」に際し、Waiveというバンド、その4人のメンバー、そしてファン一人ひとりの生き方が問われている気さえする。これからのWaiveの活動を楽しみにし、その姿を追い続けながら、自分自身の生き方をも振り返っていきたいものだ。

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