数多くの楽曲を手掛け、ステージではプレイで観客を魅了し、
ミュージシャンとして、その能力を発揮しているLida。
一方で、ほかのメンバーからいじられることも多く、
ムードメーカーを自認する、愛されキャラでもある。
十代でギターと運命的に出会った彼がみつめる、バンド結成25周年とは。
真面目であることが実は継続のポイント
●25周年を迎えることに対しては、どんなふうに感じていますか。
「そんなに意識はしてないですね。気がついたらそれだけ経ってるという感じです。でも、25年って長いですよね。この年齢になってからは特にそう思いますね。コロナっていうものがあって、活動が続けられなかったバンドもいると思うし、そういう意味では長いんだなって。バンドを25年とか30年、40年やっていくのって、本当に大変なことなのかなとは感じるようになりました」
●いま25周年を迎えられる一番大きい理由は、何だと思います?
「もともと、姫路でDAISHIが人選して集めたメンバーですけど、最初からバランスが取れてたんですよね。奇蹟的だと思うんですけど、10年間休止期間があっても、またもう一回やろうと一歩を踏み出せるメンバーだったんだと思います。本当に違和感がなかったから。だから、解散ではなく活動休止と言ってたし、僕個人的にはこれで終わってしまうとは思ってなかったです。ひと区切りつけないといけない事態だったので、ひとつ区切りをつけましたけど、また集まれるようにっていう感覚ですね」
●DASHIさんの人選がよかったというか、5人の組み合わせだからこそ、いまも一緒に活動できると。
「そうだと思います。DAISHIがどれぐらいの人に目をつけていたかはわからないんですけど、たぶん他にも候補はいたと思うんですね。その中で、音楽的な側面ではなく、何か光るものを感じて選んだんだと思うんです」
●Lidaさんから他の3人のメンバーを見たときには、DAISHIさんが言うだけのことはあるなっていう印象だったんですか。この5人ならいけるみたいな手応えはありましたか。
「いや、僕の感覚からすると、そういう手応えってそうそうないと思うんですよね。いくら演奏が上手かろうと、いい曲であろうと、手応えがあるのはすごく確率の低いことだと思っていて。奇蹟的なことじゃないですか。人間が音を合わせるのは、機械みたいにわかりやすくないし。若かったので、みんな技術はないに等しいし。でも、何でしょうね、変な安心感みたいなものはありました。できないなりにみんな真面目なんで、一生懸命しんどい思いしながらもリハーサルに来るし。いまみたいに機材が発達してるわけでもなかったから、知恵を振り絞って、このイメージをどう表現したらいいかとか真面目に考えてたから。それが救いだったのかもしれないし、自信につながってたかもしれないですよね」
●5人の関係性は、だんだん深まっていった感じですか。何かきっかけがあってぐっと絆が生まれたとか。
「関係者の人からベースを変えたほうがいいんちゃうみたいなことを言われたときがあったんです。そのときは、みんなイヤですと言ったんですよね。そういうのがいろいろあったと思うんですよ。言われたほうからしたらやっぱり嬉しいじゃないですか。それが信頼感とか絆に変わっていくきっかけだったのかもしれないですね」
●そのとき、Lidaさんはseekさんをどんなふうに見てたんですか。DAISHIさんが選んだんだから間違いないと思ってたとか。
「間違いないとも言い切れなかったですけど、でも、真面目というところがやっぱり一つありましたよね。一般常識とか挨拶するとか、そういうこと。でも、それって大事なことだと思うんですよね。だからバンドの技術とかよりも、長い付き合いをしていくにはそういうところが大事。当時からライヴの後は5人で一緒にライヴハウスのスタッフさんに挨拶に行ってましたし、真面目な人間の集まりなんです。そういうころが、僕の中では安心感に変わってると思います」
●AYAさん、seekさん、YURAサマ3人は若いほうのチームという分け方が、サイコの中にはあると思うんですけど、年齢差とかその関係性みたいなところは変化していますか。
「それはね、DAISHIが、年齢関係なく思うことを喋ってほしいみたいなことを言ったような気がします。僕も、そうするほうがいいと思ってましたし。現に、僕なんかよりも全然ちゃんとやってる人のほうが多いですから。周りの動向を見ながら、自分がどう動くべきか考えてる人たちの方が多いので、甘えちゃう部分も多いですよね」
●それはバンドの中でも、得意不得意というか、役割分担というか、そういう感じだったりするんですか。
「役割分担は本当に強くなりましたよね。特に再始動してからは、ネット環境も進んで情報収集の仕方も変わったけど、僕は無頓着なところがあるんで、頼もしいなと思いながら見てたりします」
●そんな中で、自分の役割はどういうところにあると思ってます?
「楽屋のムードメーカーじゃないですか(笑)。わかんないですけど。自分の役割ってあるのかな、ないのかもしれないなって思うときもあります」
●曲を書くであるとか、プレイの面でミュージシャンとしてみたいなところとか。
「そういうところでは、僕はできるだけ良い曲を書く人とか、AYA君よりは割合的にいっぱいギターを弾く人っていう立ち位置ですよね。でも、それは役割っていうのかな。バンドの人たちはみんなやってるじゃないですか」
●AYAさんとYURAサマの取材でも、Lidaさんのプレイヤーとしての面のお話は出ていたので。
「そう映っていれば嬉しいですけど、それはバンドのメンバーとしてのアイデンティティというよりは、自分個人として世の中に対するアイデンティティかもしれないです。たまたまギターと出会って、それが自分に合ってたのは、あなたこれやりなさいよって誰かに言われたみたいなもんで、だから何とか頑張ってこれてるのかなっていう気がするので、バンドに限っての立ち位置でもないんです」
●それぐらいの感覚があったんですか。ギターを手にしてこれをやりたいと思ったときに、これは自分に与えられたものであるとか、ギターに選ばれたというか。
「そこまでではなかったですけど、高校生のときにギターを弾き始めたときから、僕はこれをやるんだなと思ってました。これを生業にしていくんだろうなと。もちろん自信もないですし、何もなかったわけですけど」
●でも確信があった?
「そのときは変に何かありましたよね」
●じゃあ、デビューが決まったときは、プロになるんだという喜びがあったり?
「ヤッタ―とかではないですね。デビューできることは嬉しかったですけど、これから大変なことになるぞって。メジャーデビューって、こっちからあっちという境界線を越えただけだし、僕からすると高校生のときから変なプロ意識というか、その一線を越えてたんです。その意識だけはあった」
●デビューして、対外的に認められたみたいな喜びがあるのかなと思ったんですけど、そうじゃなかったんですね。
「それよりも、バンド以外の関わる人が増えて、何とも言えないですけど、すっきりしないこともあって。これを話すとちょっと角が立つかもしれないですけど、レコード会社でやる選曲会というものにすごく違和感がありました。なんでこんなことするんだろう、みたいなね。ストレスでしかないんですよ、優劣をつけるみたいなことが。メジャーデビューして、ありがたいことにデビュー曲がオリコンチャートに入ったりして、より期待値も上がりますし、それに応えていくのがプロフェッショナルだと思ってますけど、あるとき何をやってるのかな、誰のために曲を書いてるのかなと思ったりして。コンポーザーとして頼りにされてた部分があったから、余計にそういうことが気になってたのかもしれないですね」
●売れることと評価がつながるのがプロの世界だと思うんですけど、それは受け入れられるようになったんですか。
「結果から言うと、考えないようにしたということだと思うんですよ。そもそもサイコに関しては売れようぜっていうのは第一にあるんですけど、僕の中ではやっぱりちょっと違ったんですね。売れるというのがどういう状態なのかわからなかったんです。売れるという意気込みだけはあるので、それは悪いことじゃないし、それに乗っかってた部分ありますけど、いまだに僕はそういう感覚が薄いと思うんですよ。ギターを持って音楽をやれてる、ギターを弾けてるところで、僕にとっては夢が叶ってる部分があるから。売れるという表現は、僕にとってすごく銭の匂いがするんですよ、嫌らしく聞こえるというか。認められるとか世の中の人に知られるとか、違う表現ないのかなって思います」
30周年のPsycho le Cémuは渋さが出ている?
●売れることに貪欲ではないとなると、長く続けることの方に重きがあるんでしょうか。
「僕はそうなんだと思います」
●再始動したときも、これを続けていきたい気持ちが強かった?
「僕の中では、この先続けていくんだろうなっていう気持ちが8割ぐらいで、2割は状況によって、年間これぐらいの活動だけとかってなるかもしれないと思ってました。再始動した後に、この先続けるのかどうかっていう話が出てくるわけですよ。僕は続ける準備があったし、みんなの状況としても結果的に続けるということになって、Psycho le Cémuをライフワークとしてやっていくことになったんです」
●活動休止中もいろいろな活動があったわけで、再始動するとそういったものの影響で変化したりということはありましたか。
「活動休止してすぐに始まったのがDaccoで、歌うことをやり始めたから、ヴォーカリストのことがわかり出したわけですよ。それまではギタリストの立場でしかわからなかったけど、ヴォーカリストとしてステージに立ったときにどう見えているのかがわかり出したんです。そうすると、ただただ曲を演奏しているだけではダメなんだなとか、空気感をちゃんと掌握できたりとか、お客さんをこういう方向に持っていきたいと思ったら自分で発しないといかないんだなとか、そういうことを覚え出すわけですよね。それをどんどん重ねていくと、ギターを弾いてもそれができるようになってくるし。ギターを弾いていると手は使えないので、表情とか動きを使うし、そういうところが変わってきたような気がします。それが僕にとっては大きかったと思います」
●再始動してから、25周年を迎えるのは、続けていくと決めた流れからは自然に到達した感じもありますか。
「再始動してから時間が経って、みんな年齢を重ねてくるわけです。そうなってくると、このステージにあと何回立てるだろうっていうことを考えたりするわけですよね。この5人でこの曲をまた演奏できるだろうかとか。そういう考えが出てきているので、昔よりも同じ曲でも演奏できる喜びが強くなってますよ。何が起こるかわからないじゃないですか。コロナ禍があったことも影響はしてると思いますし」
●ただLidaさんとしては、特に周年を意識しないとなると、別に30周年をめざすというわけでもなく?
「僕としてはそうですけど、バンドとしてそこをちゃんと見据えて動いていきたいし、30周年に向けて逆算して活動していくと思います。僕個人としては、30周年のときには、いい渋さが出てるだろうなっていう感じですね」
●年を重ねることで渋い魅力が出てくることに対する憧れはありますか。
「そこはね、子どもの頃からプロレスが好きで、特に覆面レスラーが好きなので。ミル・マスカラスというレスラーがいるんですけど、いくら年をとっても覆面を被れば年齢は関係ないわけじゃないですか。だから僕らも一緒で、ステージでああいうコスチュームを着てメイクをして立ってれば、年齢は関係なくできるんですよね。ただ僕は、アンチエイジングするとか興味ないし、加齢を隠すためのコスチュームではなくて、あくまでもそういうキャラクター、別人格になるスタイルですよね。もともと変身願望があったし、Psycho le Cémuは僕にとってやっぱり大切なものだと思うんですよ。反面、キース・リチャーズのように、シワシワになってるけどカッコいいみたいな、ああいうのも好きですけどね」
●キャラクターとしての見せ方があるけれど、それとはまた違う、歳相応の渋さが出てるみたいなアーティスト像にも憧れると。
「そうですね、コードをバーンって弾くだけで絵になるぐらいのね、そういう往年のギターヒーローみたいな存在に近寄れたらいいなとは思いますよね」
●Psycho le Cémuというバンドの中で、そういうギタリストであることもできる?
「Psycho le Cémuみたいないでたちの人が渋さを出そうとするのは、違和感があるじゃないですか、ちょっとズレてるというか。でも、そういうこともひっくるめて人間がやってることだし、人間の成長としてそこまで見せていきたいというか」
●それができたら、想像を超えるものになりそうです。キャラクターとして作り込んだものって、つまり素が見えない状態ですよね。でも中身を見せるって、相反するものが共存しているような感じがします。
「でもね、Psycho le Cémuはもしかしたらもう共存してるのかもしれないですよ。コンセプチュアルなバンドは世界観を重視するじゃないですか。Psycho le Cémuもそうなんですけど、ライヴの後半に行くにしたがって感情的な部分が一番表に出てるなって、ここ数年で気づき始めたんです。いくら派手な衣装を着て、演出を凝ってても、最終的に残るのは人間力というか。辛いことがあったら、それが顔に出て泣きますもん。普通は、泣かないじゃないですか、我慢するじゃないですか」
●世界観を大事にするならそうですよね。
「そう。でも、自然とこうなってきたということは、それはPsycho le CémuにとってはNGじゃないんですよね。それが一つ強みに変わってるところはあります。感情を出したボロボロの自分たちを見てもらっていいですし、活動休止せざるをえない時期はバンドにとってもファンにとっても関係してる皆さんにとってもしんどかったですけど、20年近い時間が経って、それを少しずつ乗り越えようとしてるメンバーを見てくださいっていうのもあると思うんですよね」
25周年記念ライヴを経て、40周年、50周年へ
●新しいアー写については、どういうイメージのものがやりたいみたいなのがあったんですか。
「5月3日の神田明神ホールに向けて『Galaxy’s 伏魔殿』というキーワードが出てるんで、宇宙ものなんだろうなっていうところからですよね。メンバーみんなで衣装のデザインを決めていくんですけど、だいたい僕の衣装が最後なんですよ」
●決める順番が?
「それぞれが言うことを聞きながら、僕が描いていくんですけど、そのうち僕の順番になると、みんなの集中力がなくなって、好きなやつでいいんじゃないって。だから、自分の中で考えて、こういう星の人だからこうなんだろうな、人じゃないかもしれないなとか」
●これは宇宙っぽい?っていうメンバーさんもいらっしゃいますよね。
「Psycho le Cémuが言ってる宇宙なので、世間一般で言う宇宙ではないですよね。一人、道着を着ている人がいるんで、明らかにあれは宇宙じゃないでしょう」
●お披露目になる5月3日の25周年記念のライヴはどんなものにしたいと思っていますか。
「2年半ぐらい『RESISTANCE』というシリーズをやってきて、そこで得たものは大きいし、それをちゃんと引き継ぎつつ、王道のPsycho le Cémuの見せ方をうまく合体できればより前に進めるのかなと思ってます。今までやってる曲でも違うふうに見えたら、聞こえたら嬉しいですよね」
●すでにツアースケジュールも発表されました。
「サブタイトルがついてるんで、このメンバーがこの日を担当するんだろうなっていうふうになると思います。ならないといけないですよね(笑)、あれ、何だったんだろうって思われてもしょうがないから」
●まずは25周年記念ライヴを楽しみにしています。
「40周年、50周年を目指して頑張るしかないですよね」
●Psycho le Cémuをライフワークと表現されましたけど、そういう感じなんですよね、人生とともに続いていくものだと。
「ステージに立つのはもちろんですし、それ以外の活動でも、続けられるように日々頑張ってますよね、体と相談しながら。3人は若いって言ってもね、若くないじゃないですか(笑)、世の中一般的に言ったらね。でも、なんせみんな真面目なんで大丈夫ですよ。真面目と誠実が一番だなって思いますよね」