セルフカバーベストアルバム『RED ALBUM』をリリースし、
Waive GIGS 2025「蒼紅一閃 -soukouissen-」も近づいてきた。
ラストツアーを含め、さまざまな気になるイベントも発表され、
いよいよここから2026年1月4日まで、一気に駆け抜けていくことになりそうだ。
杉本自身の気持にも確実に変化が生じているようで、
迷いのない、きっぱりとした発言が印象に残った。
武道館まで残されたワンマンが限られているなか、気になるセットリスト

●一気にいろいろな情報が発表されたところですが、まずは6月21日から、『Waive GIGS 2025「蒼紅一閃 -soukouissen-」』が始まります。2枚のアルバムの曲をメインにというお話でしたが、セットリストはイメージできていますか。
「いやー、できてないかも」
●何か迷うところがあるとか?
「この2枚のアルバムは、セルフカバーベストという言い方をしているし、我々もそういうつもりで曲を選んでるから、ベストアルバムなわけですよね。その曲を今回のツアーでやったとしても、秋にラストツアーがあるんだから、そっちがベストなんちゃうの? みたいな気がしません? たとえばですけど、2枚のアルバムの曲だけで今回のツアーをやって、ラストツアーはそこに入らなかった曲で、最後にやっておきたい曲をって考えたら、“「春色」をやっとこう”とかになるじゃないですか。そうすると、じゃあ武道館はどうなんの?って、次はなっていくような気がして。ラストツアーはある意味、武道館の前哨戦なわけで、そう考えると、それらしいセットリストになるとも思うし。そういうことを考えてると、今回のツアーのセットリストのイメージが湧かないんですよね」
●ツアータイトルの話をしていたときは、2枚のアルバムを中心にというのがさも当たり前な印象でしたけど、いざ考えるとそうすんなりとはいかないものなんですね。
「ツアータイトルを決めたときは、机上の話だったんですよね。持ち帰って頭の中で考え出すと、いろんなことが出てきて。ここでこれをやっておかないと、みたいなものがちょっとずつ出てきて欲張っちゃう。終わりが見えている中で、自分たちが昇華したいものってあるじゃないですか。やっておきたいという強い意志みたいなものがある曲があるなら、ツアーのコンセプトに縛られて、その意志を殺す必要はないと思うんですよね。それもあって決まらないというか、決めるに至っていないのかな」
●それだけ終わりがリアリティを帯びているんでしょうね。
「日増しに思っていることですけど、もっと自分勝手でいいんじゃないのかなって。後悔しないようにって言うと、ちょっとベタな言葉になっちゃうけど。僕は、先に何かを決めて、それに対して後付けでもいいからそこに向かっていこうとするタイプなんですよね。この目的に対しては、これが必要なんだからやるしかない、というふうに。だから、僕が考える武道館のひとつの成功を信じて行動しているから、そこまでにやるべきことをやっておかないとダメなんです。ゴールが自分の中で決まってる以上は、何があっても、それはゴールが絶対に呼んでいる答えなんだから。とにかく、ゴールがすべての行動を教えてくれるんです。それはたぶん、2年前にこのプロジェクトを発表したときからそうだったけど、ゴールまでの距離が遠くてわからなかっただけなんです。ゴールが近くなってきたことによって、より聞こえるし、見えるようになってきてる。いまやっていることは絶対に間違ってないし、ゴールに近づいているんだ、というふうに感じてる」
●迷いがなくなったというか。
「そんなに深刻に考えなくても、その日が来ればわかるんでしょうみたいな気持ちですね。楽観的ではないんだけど、全部の過程を楽しむようにしてます」
杉本善徳の中から生まれるWaive最後の曲

●新曲に関しては、ツアーが始まる前ぐらいにはつくり始めておきたいとのことでしたが、進行状況はいかがですか。
「6月の1、2週目ぐらいのうちには、少なくとも母体になるものをつくりたい気持ちではあります。まあ、鼻歌みたいなものをちょっとずつメモし始めてるんですけど、いまのところ、本当にこれが俺のやりたい曲なのかなみたいな、ちょっと悩んでますね。でもそれも、さっきの話と一緒で、最終的にはあんまり考えずに、これだろうというものを出していこうと思ってます」
●Waiveの最後の曲だ、みたいな特別感は意識しないということですか。
「意識してると思う。でも、それを意識して、ふさわしい曲が何なんだというのは、考えれば考えるほどセンチメンタルなものになっちゃうと思うんですよね。自分がファンで、応援していたアーティストを観に行って、最後につくられた曲はどんな曲であってほしいんやろうみたいに考えたりするんですけど、いろんなパターンが出てくるし。めっちゃ明るくて、笑顔で終われるような曲とか、大号泣できるような曲とか。そういうことに引っ張られていってしまう気がしていて」
●どの答えも間違ってないような気がしますけど。
「でも、なんかしょうもない気がして。やっぱり最後なんだから、自分で満足したクリエイティブをつくって、Waiveというものに対してやることはやったという気持ちは得たいし、そこは考えてるけれども、有終感のある曲とは?って考えれば考えるほど、嘘くさいものになりそうな気がしちゃってるかな」
●嘘くさい?
「エモをねらってつくったエモい曲って、エモいんだけどエモくないじゃないですか。それはテクニカルにエモいものだから。飲食店の料理は過剰に味が濃いから美味しいみたいな話と一緒で、こうやったらエモく聞こえるっていうメロディとかコード進行があるんですよ。でも、最後に食べたいものは何ですか? という質問をしたら、“お母さんが作ってくれたご飯”みたいな答えってよくあると思うんですよ。最後の曲も、そういうものであるべきな気がしてるんです」
●技術じゃないということでしょうか。
「スプーンで計ったりしないで、毎日の癖でパパッって作るようになったみたいな、自分の中で自然と生まれたものであるべきじゃないかな。お前の味はこれやろうというものが、僕にもあるはずだから」
●ん~、作為がないということ?
「いや、僕のものとして意識しているから作為はあるし、僕には僕だけのレシピがあるから、僕のレシピであるべきだというところを大事にしたいんです。他人様のレシピを意識して、これがエモいね、みたいなことにならないようにしないといけないとだけ考えています。だから、前の曲と一緒やんって言われても構わないぐらいのスタンスじゃないとダメなんじゃないかな。前の曲と違うものにしようとか、誰かに褒められたいとか、ファンの人とかメンバーに何か言われることを意識するんじゃなくて。とにかく邪念なくやろうとしているから、つくる時間はあるのに、まだ書いてないのかも。極論で言ったら、Waiveの全ての曲を足して割ったみたいな、平均点みたいなものでも僕はいいと思ってる。何も考えずにこうでしょうって出せるものを生んだほうが、最終的にWaiveのクリエイティブで後悔しないんじゃないかなという気はしてるんですよね」
やれることは、カッコ悪くても何でもやりたい。過程がすべてだから

●ライヴをするとか、新曲をつくる以外に、武道館までに何かしておきたいことはないんですか。先日は、渋谷駅に大きな広告が掲出されましたが。
「僕、ビラ配りしたいんですよ。武道館に出るアーティストが手売りしてるという事実をつくりたいんですよね。あとは、いろんな都合で行けていない地域とかにプライベート感覚でひとりで突然行って、“今、北海道の音楽処にいるからヒマな人いたらCD買いに来てください”って言うみたいなことがやりたい。昔は広島のマジカルスクエアで売ってたけど、いま店がないんで、“マジカルスクエアの近くの公園にいます”って言うような感じ。東京に出て事務所に所属してスタッフが増えて意見も増えて、本来ありがたいことだけれどそれによって作られたブランディングを取っ払いたいというか、バンドを始めた初期のような気持ちでやりたい。ベタなたとえでいうとチャリンコのカゴにCDを積んで、自分で売ってます、みたいなことって目的への気持ちが見える化するじゃないですか。それは本当に初期から言ってるんですけど、なんか知らんけど意見がスルーされる。でもこれから、そういうアイデアが通りやすくなると思ってるんです。 武道館のチケットの一般券売が始まってからかな。最初から観たいと思ってくれている人達に先にチケットを買ってもらったら、その後は必死さというか気持ちをしっかりと見せるところだと思う。いろいろな意見や、正しいことを言っているスタッフのこととかを全部無視していいなら、本当はもっと安いチケットにしたいんですよ、僕は。一番安いチケットを1,000円とかにして、それを手売りしたい。それでも買い渋る奴に、“じゃあ俺が半分出すから来てや”って言って、500円で売るとかもおもろいと思う」
●武道館クラスの公演でそれをやってる人はいないでしょうね。
「僕らはチームだから、こんなもんは個人的な妄想で終わる可能性が高いというか、ブレーキかけてもらってなんぼみたいなところもあると思うけれど、とにかく目的に対する温度を正しく伝えることが大事だと思うんだよな。武道館がいっぱいになることはもちろん成功の代名詞だと思うんですけど、なんでいっぱいになったかという事実を残すことがすごく大事で。たとえば、普段の観客が1000人のところが2000人になるには何が必要なのかとか、3000人が5000人になるには何が必要なのかとか、それをより具体化することが、このプロジェクトのひとつの意味だと思う。何によって熱量が起きるのか、いろんな角度から試したり、いろんなパターンで証明したりするべきだと思うんです。今日、PIERROTのライヴ会場周辺で、デジタルサイネージの看板を人が背負って歩いて宣伝するっていうのをやってるんですけど、それでダイレクトにチケットが1000枚売れるなんて絶対にないわけじゃないですか。でも、0が1になる可能性はあると思うし、その1がマクロを生むことはあり得るし、小さくても可能性が生じると思えることをどれだけできるかどうかだと思ってやってるんです。数多く挑戦しない限り、それは証明されない気がする。ひとつ何かを投下して、それが運よく当たってしまって、1万人動員できてしまったら、そのプロモーションが成功を決めちゃうじゃないですか。それは非常につまんない答えだと思うし、挑戦する奴がやっていいことではない気がする。挑戦するには、事実を積み重ねていくことが必要なはずだから。周囲の人からは、“手売りは最終手段では”みたいな意見も出ることがあるんですが、早いとかないねんって思う。勝ち戦でもない奴が、なんで思い通りにストーリーが進むつもりでいるねんって思っちゃうんだよな」
●それは、カッコいいストーリーをつくりたいというか、カッコよくありたいからでしょ。
「そうだと思う。でも僕は、カッコよさにも種類があると思うから、自分に似合うカッコのつけ方をするべきだと思う。『アリとキリギリス』の話で言うと、勝ち筋も何も見えてない奴が、“アリ、カッコ悪くね?”って言ってたら、カッコいいことの何を知ってるんだ?って思う。それってよくあるパターンでしょう。学生の頃に、勉強とか部活を一生懸命やってる奴をカッコ悪いって言ってる感じ。それと一緒で、同じフィールドで勝負に勝ったことのない人間が、一生懸命やってる奴を否定するのは、寒い気がするんだけどな」
●でも、言う人っていますよね。それを言われるのがイヤで必死になれない人も。
「勝つ奴は絶対に何かを持ってるから、持たざるものは、とにかくチャレンジし続けるべきなんです。根性論みたいになるけど、僕はやっぱり数だと思う。チャレンジする姿にカッコいいとかカッコ悪いとかある?って思う。全部カッコいいであるべきだし、もっと言うと、結果が出たときにカッコいいんだから、過程でカッコ悪いと言われてたとしても、やることがすべてじゃないの?って思う。やらなかったら、カッコ良くもカッコ悪くもないんじゃないかな」

●ただ、どうしてもカッコ悪いと言われたくない人っていません?
「そうなんですよね、それはわかる。世論とかもおおいにあると思うんだけど、大多数がカッコいいと思われるかどうかを気にしてると思う。SNSが出て来て、指さして言ってくる奴もいるようになったと思うけど、同じ仕事をやってる奴以外にどうこう言われたくない。ファンは自由ですよ。僕のことをカッコいいと思うのかカッコ悪いと思うのか、それはその人の好みだからどう言われても構わない。自分がカッコいいと思うやり方を見せて、カッコ悪いと言われたら、“そうですか、合わないですね”、極論それでいい。でも、僕自身がカッコ悪いと思ってることをやって、それでカッコ悪いですよってなるのは一番寒いから。自分がカッコいいと思うことを1個1個やるしかない。過程にあるものがカッコ悪いことは往々にしてあるし、努力というのはそういうものだし。こう言うとちょっと気持ち悪いけど、カッコ悪いけど、美しいものであるべきだとも思う。その過程を自分で否定し始めてしまうと、目的にはたどり着けない。たどり着いたとしても、振り返れなくなる。過程まで赤裸々に見せたいから、こういう無謀なチャレンジをしたんだと思うから、もしも一番わかりやすい成功、たとえば数字的なところで成功したら、笑ってた人たちも笑えないわけじゃないですか。そのとき『アリとキリギリス』じゃないけど、やっぱりアリでいたいよねとか、なんならアリ以外のやり方を示してくれたねとか、そうなれたら幸いだな。少なくともキリギリスをカッコよく見せる物語をつくりたいと思ったことはないんですよ」
●それは善徳さんが、いままでの人生でちゃんと頑張ってきたという自負があるということですよね。いい加減に生きてきたわけでもなく、やるべきことをやってきたというか。
「そうそう、それはそう。ただ、常々言ってることでもある“僕は努力ができない人間”だと思ってるのには、いろいろな理由が当然あって。ちょっと偉そうなことを言うと、僕は自分が見積もった自分のポテンシャルに対して、努力をしなかったと思うんです。ミュージシャンとかって、“いつか武道館とか東京ドームに”とか、何も考えずに言うけど、その目標に対して何をやったんや?って考えたときに、僕はポテンシャルによりかかってしまったと自分ですごく思っているから。だから、やれることをやってからじゃないと、自分の気持ちが成仏しないような感覚がある。少なくともWaiveに対しては、やれることをやったと思えることが大事な気がすごくするんですよね。やり切ったとかやったと思えることをとにかく増やしていきたい。それが、夢みたいなものを語った人にとっての大事な要素だと思うし、それを僕は示したいだけなんです。何よりもそれを自分が知りたい。努力したことは返ってくるんだと思いたいというか。もしも、やっても変わらんということが結果としてわかったとしても、それは僕の中で新しい財産になると思う。それって、やった奴だけが語れることじゃないですか」
●ビラ配り、やるときは見てみたいですね。
「極論で言うと、Waiveのファンに配るとかでもいいんですよ。ビラ配りしてる事実をSNSで拡散してくれるから。何月何日にどこどこにビラ配りに行くから、みんな来てねって告知して、ファンが集まって写真を撮るとかでもいいと思うんですよね。 とにかく何もしてないよりは、何かをやってる事実のほうが、ゼロより限りなく一に近づくと僕は思ってるから。そうすることで、もちろんお客さんが入ればいいけど、入らなかろうが、武道館に向かって積み重ねていくことで、自分の充実感とか自分が得たいものが手に入ると思ってるんです。だから、結果を出すことより、やることのほうが大事。思いついたことは何だって全部やるべき。だって、これぐらいの規模のバンドがこの歳になって武道館で解散ライヴをするんですよ。しかももうミュージシャンじゃない奴もいて。そんな状況で誰もどうしたらいいか答えを持ってないのに、“それは早い”とか“カッコ悪い”とか言って方法を選んでるのがわからん。とにかくやればいいんですよ」
