Psycho le CémuとMIMIZUQ、2つのバンドで活動しながら、
ソロとしても弾き語りに加え、2025年はバンド形式のワンマンにチャレンジ、
さらにはmachineでのサポートと、
いつ休んでいるのか? と思わせるほどの精力的な活動を続けてきたseek。
決して楽しいことだけではなかった、2025年を振り返る。
MIMIZUQを残し続けるという意志はある
●早速ですが、AYAさんのMIMIZUQ脱退についておうかがいさせていただければと思います。今年は、MIMIZUQの活動がかなりスローペースだったのは、あまり動ける状態ではなかったということなんでしょうか。
「そうですね、ファンの方も感じる部分は多かったんじゃないかなと思います。MIMIZUQは、AYA君がゼロイチの、クリエイティブの部分を持ってきて、俺がそれをバンドの活動に落とし込んでいくというカタチで活動してたんですけど、その一番核となる部分がAYA君からあまり出てこなくなっていたんですね。そこで、俺からも提案したし、ゼロイチの部分をタクヤ君が担ってくれたり、翼君が少しでも結束を強くするために新曲が必要だと考えて、「旅人のメロディー」が生まれたりとか、なんとかMIMIZUQを続けていける方法を模索してたんです。1月にタイに行ったのも、そのひとつですよね。でも、変われなかった、変わらなかったんですね。これはべつにAYA君を責めるわけじゃないですけど」
●具体的に脱退のお話が出たのはいつ頃だったんですか。
「最終的に話が出たのは、6月の6周年ライヴが終わって、これからの活動について話をしていたときですね。その時点で確約できるスケジュールが2026年1月ということやったんです」
●ああ…、それは厳しいですね。
「その段階で、もうAYA君の中では固まったんかなという感じはありました。このままだと自分がMIMIZUQの足を引っ張ってるんじゃないかと思うという発言もあったから。ファンへのコメントで、AYA君はスケジュール調整という言葉を使ってますけど、ほかのメンバーもそれぞれの活動があるわけで、それはAYA君のせいだけじゃない。これは書かないほうがいいかもしれないけど、AYA君はMIMIZUQの活動にもメンバーとの関係にも全く不満がないから、続けていきたいという思いはあったんです。でも、現実的には難しかった」
●seekさんにとってのAYAさん、という点ではどうでしょう?
「俺もAYA君も、サイコのメンバーでもMIMIZUQのメンバーでもあるけど、二人の関係としては全然別物なんです。20年前にMix Speaker’s,Inc.から始まった、AYA君と二人だからできるものづくりの方法をMIMIZUQではやってきた。それができなくなるんだというのは、大きな喪失感です。だから、これからもっと頑張らなあかんのやろうなっていう新しい展開に入ってきてるかなと感じてます」
●MIMIZUQとしては解散ではなく、バンドもその音楽も続いていくんですよね。
「残し続けるという意志はある。だから、いまの段階で解散という言葉を使っていないんです。でも、1月10日以降の具体的な活動について言えないのはもどかしいですよね。今年のMIMIZUQはずっともどかしさがありました」
ヴォーカリストとしてのソロ活動。ベーシストとしてのサポート活動。
●残念なお話からインタビューが始まりましたが、2025年を振り返ると本当にいろいろなことがあって。まずは、『姫路シラサギROCK FES』がありました。
「『姫路シラサギROCK FES』は、初めてのことやったから。とにかく初めてだったんで、人にまかせるより、全部経験してみようと思ったんです。どういう人がどこで動いているかとかをちゃんと見て、出演者にもスタッフにも自分の気持ちを伝えられるようにしたかった。それで、25年の活動の間に出会ったバンドさんに気持ちを伝えて、地元に来てもらえたのは嬉しかったですよね。肉体的にも精神的にも、今年の 1月はボロボロになってたけど。終わったら、やってよかったな、この日のためにここまでやってこれたっていう喜びをあんなに感じられたのも初めてやった。DAISHIを筆頭に来年もやろうぜっていう気持ちになったし、これは自分たちにしかできないことだという、一種の使命感みたいなものも感じてはいますね」

●2026年は3月28、29日に行われる次回についての詳細も発表されました。ミュージシャンとして音楽活動をするという点では、個人の動きが多かった印象がありますが、ソロについてはいかがですか。
「1年前から、 9月にバンド形式の初めてのソロワンマンをやりますと銘打って、毎月あれだけのゲストの方とツーマンで弾き語りをしたり、レコーディングしたりしたんで、それはすごく刺激になった」
●ワンマンをやってみて、ひとつ目標にしていたところがクリアできたみたいな手応えはありましたか。
「うーん、頑張った、っていうぐらいかな、いまのところ。やっと最近あの日のライヴ映像をちょっと見たんですけど」
●それまで見てなかったんですか。
「軽く流し見しかしてなくて、ちゃんと見れてなかったんです。でも、見てみたら、まだまだソロヴォーカリストとしては至らぬ点が多いなと思いましたよね。当日ステージに立ってみないと感じられないことがいっぱいあって。モニター環境とかもそうやし、ステージドリンクをいつ飲むねんとか、どれぐらい緊張で口がカピカピになるのかとか(笑)。センターに立ってドラムが後ろにいると、普段は意識せずとも何かあったらドラムを見たろって思っていたことに改めて気づいたり」

●初めての経験ですもんね。
「冷静に聴くと、うまいことできてないことがいっぱい見えてきました。aieさんからは、“とにかく続けなあかんし、ステージに立ってなんぼなんじゃない”って言われて、“次どうすんの? こっちはいつでも準備できてるから”と言ってもらえたのがすごく嬉しかったし、計画したいですね。まだ、そこまで頭が回ってない感じですけど。ただ音源は、7月に「白濁に酩酊、泥濘の睡蓮」をリリースしてから出してなかったんで、今年中にもう一曲出しておきたくて、12月3日に「月と黒猫」をリリースしました」
●個人としては、machineのサポート活動もありましたね。
「これは、自分の中では大きな転機になったと思ってて。ベーシストとして必要とされることってあるんやって思ったから。それは、俺の中で大きな事件でしたね。それに応えたい気持ちももちろんめっちゃあったし、プレッシャーもありました。初リハーサルはすごく緊張してたんですけど、絶対譜面は見んとこうと思って。リハの一発目からバーンってライヴっぽく弾く姿勢を求められてんじゃないかなと思ったりして」
●実際リハをやってみていかがでしたか。
「リハの前にミュージックビデオの撮影があったんです。そのときに、こんな音楽やってますっていう自分の資料をKiyoshiさんに送らせてもらったら、弾き語りにすごく反応してくださって。すぐライヴにも来てくださったんですよ。ライヴが終わってからご飯を食べに行って、バンドの話をすごくいっぱいさせてもらったんですね。それからのリハやったんで、テクニック的なものはともかく、同じバンドマンとして気持ちが通じ合えたかなと思いました」
●ライヴで一緒にステージに立ってみたらいかがでした?
「ライヴもすごくよかったですね。メンバーさんは“もっともっと前へ行っていいよ”って言ってくださってたんですけど、初ステージの1ブロック目まではちょっとヒヨったんです(照笑)。いざステージに出たとき、10年間machineを待っていたファンの方たちに“お前を観に来たんじゃないねん”って思われんちゃうって思って。でも、 2ブロック目の最初の曲はベースソロから始まるんで、こんなとこでヒヨってたらあかんわと思って、バーン!ってスイッチを入れられました。最初のブロックに関しては、いま振り返ると今年一番恥ずかしい(照笑)」
日本武道館という目標を口にして、伝えていく

●Psycho le Cémuに関しては、武道館に立ちます的なことを、CROSS ROAD Fest.でもMUD FRIENDSでもはっきり口にしているのが印象的でした。
「最近DAISHIがすごく言ってます。武道館というワードを言ってる。去年までは、“あの場所”って言ってたんですよ。それで伝わってたと思うんですけど、匂わせるフレーズでしか言ってなかった。でも、今年のツアーが始まる頃ぐらいからかな、ラストに「君がいる世界」をやることが増えて、曲が始まる前にギターのアルペジオに乗せてしゃべりたいってDAISHIが言い出したんです」
●DAISHIさんの発案なんですね。
「これまでは、言葉で伝えるのは俺の印象が強いと自分でも思っていたんですDAISHIが本来言うべきところまで俺が言っちゃってるとも前から思ってたし、それはガラさんと呑んだときにも言われたんですよ。“やっぱりヴォーカルにしかできひんことってあると思うし、俺はDAISHIさんにそれをやってほしいと思ってる”って。それはすごく嬉しかったし、そりゃそうだよなってストンと腑に落ちたところがあって。だから、DAISHIに言ってほしいなって思ってたんです。ただ実際、DAISHIがしゃべってるのは、正直あんまりうまくないんですよ(苦笑)」
●言葉巧みにお話になるタイプではないかもしれないですね。
「でも、ヴォーカルでしか言われへんことがあるし、DAISHIがDAISHIの言葉で喋ることにどれだけ共感してもらえるかが大きいかなとも思うし。あの人だから出せる空気みたいなのを持ってほしいですよね」
●DAISHIさんからああいう発言があったのは、ここで改めて、日本武道館という目標を設定したみたいな感じではない?
「すでに設定はしていたから、それを人に伝える段階に入ってきた。それはファンの方に対してもやし、俺にとっては2026年以降それを具体的に決める時期に入ってきていると思う。Waiveをこの二年間見ていて、特にこの数ヶ月、善徳さんを見てて、ちょっと異常なほどの熱の伝わり方を感じる。ライヴとか即売会とかSNSとかで、ファンの方が高まっていってるのを感じるから。武道館って、チーム総動員で臨む場所やと思うんで。もちろん一番カッコいいのは俺らが連れて行くカタチやけど、Waiveを見てると、ほんまに総動員で戦ってる感じがすごくしていて。そういうものをつくりたいと最近は強く思ってるかもしれないですね。だから、ファンの方にどれぐらい俺らの熱量とか本気度とかをちゃんと伝えられるかが、サイコが武道館に立てるかどうかなのかなと思う」
怒涛の2025年から2026年へ向けて

●2025年のトピックとして、特殊詐欺の被害に遭いかけたというのもあったわけですが、それをエッセイにして発表するというのはseekさんらしかったですね。
「思った以上にすごく反響をいただきました。発表することが被害を防ぐことにつながってるんだったらいいけど、他人事なんだなって思う反響も多かったです」
●そうなんですね。
「被害に遭ったことを発表したら、“いや、こんな詐欺やん“は絶対言われると思ってたんで、覚悟はあったんすよ。でも、実際に被害に遭った人の話を聞いたりすると、実は被害に遭ってたけどそのことが言えなかったんですっていう声をあったんですね。誰にも言えなくなってしまうし、言ったとしても、“なんでそんなん気づかへんのよ”って言われてしまったりする。精神的な二次被害みたいなことを受けるっていうか。ただでさえ傷ついてるのに、それを言葉にしたら“アホやな”って言われてしまう辛さみたいなのがあるんだなと思って」
●金銭的な被害だけじゃないわけですね。seekさんもまさにそうですし。
「めっちゃしんどかったですよね、machineのサポートをやってるときだったんで、練習せなあかん、ツアー行かなあかんって。この件に関しては本当に何かね、自分で作り出したものでもなけりゃ、人生に何度も来ることでもないだろうし。こんなことが起こるんだなっていう、めっちゃ不思議な体験だったな思う」
●本当に盛りだくさんな年でしたね。
「なんかね、ちょっと落ち着いてのんびり温泉でも行きたいですね。何にも考えんとボーッと温泉に浸かるぐらいの一日があってもいいなと思うぐらい」
●ぜひそうしてくださいと言いたいところではあるんですが。
「現段階では、2026年の『姫路シラサギROCK FES』がようやく形になって、けじめとしてMIMIZUQのことを発表して、頭はまだいっぱいいっぱいな状況なんですけど。この年末年始でちょっといろんなことを整理しなきゃいけないとは思ってるところです」
●2026年の抱負というか、個人的なことでも希望が何かあれば。
「2025年は、人とのつながりみたいなのをすごく感じる一年やったんですよね。そのなかで、時間って限りがあるんやなっていうのをすごく感じたんですよ。バンドをしに東京出て来てるから、忙しいぶんには全然いいし、この歳になってすごく充実してきてるのはすごく嬉しいんです。反面、あまりに物事が多すぎると、人と丁寧に付き合えてるんだろうかって感じることもあって。そういうことをもっと意識して、その人と一緒にやれてる時間とか、ひとつひとつに気持ちを込めて丁寧に過ごしたいです。詐欺に遭ったことで改めて気づいたんですけど、ムチャクチャな生活してるなって。もし今日風邪ひいたらどうするの? みたいなスケジュールの詰まり方をしてるから。健康のこともそうだし、ここから50歳に向かうには、もうちょっとちゃんと考えていかないとって感じですかね。自分に使える時間をもうちょっと意識しながら過ごせる2026年にしたいです。でも、新たな刺激ももらいたいから、まだ出会ってない人たちも含めて、バンドマンといっぱい飲みに行きたいですけど」
