2025年を迎え、Waiveの日本武道館公演まで残り一年を切った。
現在は、『RED ALBUM』の制作真っ只中。
その一方で、逹瑯(MUCC)と団長(NoGoD)とのYouTubeといったちょっと意外な活動も。
そんな周囲のバンドマンの反応やシーン全体への影響についての話から
善徳の見ている射程の長さを改めて感じる話となった。
Waiveが武道館をすることで、後に続く人たちが生まれる
●最近、ν[NEU]や逹瑯さんなど、周りのバンドマンの方との絡みというか、そういうことが増えてきた印象を受けているんですけど、Waiveの活動のシーンに対する意味みたいなものについて、改めて思うところはあったりするんでしょうか。
「武道館でやることの意味は、ある気がします。Waiveが武道館をやることで、いろんなアーティストが武道館について考える機会になるのかなと思ってるから。武道館でやりたいと言いながらやってないバンドは身近なところにもいるけど、メンバーかスタッフが敷居を高く設定しているからだと思うんです。我々が活動していた2000年代前半は、武道館をやるなら売り切って2デイズでないとダメって言われていた時代だし、それ以降も8000人から、少なくとも6000人ぐらいは入らないとダメでしょうみたいな思い込みがあるんですよね。特に武道館とか渋公とかは、これだけ人が入ってないとダメっていうのがある」
●お客さんが入っているにこしたことはないけど、特に武道館はお客さんが入っていないと格好がつかない、みたいなイメージはあるかもしれないですね。
「Waiveに限らず、誰かが武道館をやることで、その思い込みを変えられる気がするし、変えられる時代になったんじゃないのかな。金銭的デメリットを限りなく小さくすることも、可能なんですよ。僕はもう10年ぐらい前から感じていたけど、客単価に対する解釈は時代によって変わるし、チケットの値段も物価によって変わるから、武道館の経験者が言っているデータが現在のデータなのかを考え続けたほうがいいと思う。コロナ禍後にエンターテインメントをやっていくのに、情報をアップデートしていない人が多すぎる感覚がすごくある」
●時代がもう違うんだと。
「DEZERTやキズが武道館をやったけど、“売り切れるでしょ”って誰もが言う状態ではないのは周知の事実だと思うんです。そのうえで武道館をやれるのにはバンドを継続するからということはあるんで、解散するバンドと条件は違うけど、仮に解散するバンドがあって、普段の平均が3500人ぐらいの動員だったら、解散ライヴをキャパシティを上げて国際フォーラムにするより、武道館にしたほうがよくないか、と思うことはある。いろんなアーティストに対してそういう疑問は持ってきた。解散とは逆だけど、復活ライヴを武道館でやらないのかなと思うこともあった。会場の規模を大きくするタイミングが、もう入口と出口にしかないパターンが往々にしてあると思う」
●復活と解散ということですか。
「そう。Waiveの武道館をやるにあたっては、こういう考え方で、電卓を叩いたうえで僕なりのプランを立てて周りを説得してきたんですよ。だから、武道館を形にできることを証明できたら、たぶんほかのアーティストにとって今後のチャレンジの障壁は下がるし、いろんな人たちが博打を打てるようになると思う。それを見せたいんですよね。解散ライヴではないけど、個人的には触発されたと感じている武道館のライヴがあるんです。それが、ニューロティカが2022年に武道館をやったときなんですね。あれに僕はかなり感化された」
●結成38年目、史上最遅の初武道館と言われていたんですよね。
「あのときは、関係者たちも“これはチケットを買って行かないとダメでしょ、お祝いだから”みたいに言って、何百人と集まったんです。それは、めちゃくちゃ素敵なことだなと思った。継続してきた人たちへのご祝儀かのように、こういう時間が用意されることは、諦めかけていた夢が叶う瞬間だから。若いうちに売れなかったとしても四十代、五十代でも武道館やれる事実を見せて、夢が叶う実績を増やしたいんですよ。Waiveは、それができる可能性のあるアーティストなのかなという気がする。当然できるでしょって言われるわけじゃないし、絶対できないでしょでもないというか。Waiveがきっかけで次に武道館をやるバンドが生まれたら、それが二個目の実績になるわけだし、三個、四個ってなっていけば、それはシーンへの貢献だと思うんですよね。Waiveがシーンに貢献したと思われるかどうかはわからないけど、長い目で見たら意味のあることだと思う」
●それだけ長い目で見て考えていると。
「もっと言うと、これは勝手に自分で思ってるだけだけど、関西から出てきた僕らの世代のバンドで武道館をやった奴があまりにもいない」
●Janne Da Arcの後だと誰ですかね。
「関西だといないんじゃないかな。特に、俗にヴィジュアル系と呼ばれていた、『SHOXX』とか『FOOL’S MATE』に載ってたみたいなバンドにはいないですよね。上京が決まった頃のWaiveやwyseは武道館まで行くと思われていたと思うんですよね。もし売れていたら、絶対違ったわけですよ」
●その後の世代が?
「第二のJanne Da Arc、第三のJanne Da Arcが生まれていれば、第四、第五っていうふうになるわけだから。wyseとかWaiveに憧れてバンドを始めましたっていうバンドマンはもっといただろうし、もうバンドをやめた人が多いけど、大阪でライヴをやると来てくれたりするんですよ。そういう人たちは、我々みたいにバンドを続けている奴らが武道館に行ったらたぶん嬉しいだろうなと思う。だから、何かしら残さないとダメな気はしてるんです。これは裏テーマというか、勝手に感じてしまってることですけど。ファンにとっても、そういうのはあると思うんだよな。昔観に行ってたなって懐かしく感じるだけの人も、その事実が耳に届いたなら武道館でやるんだったら行こうと思ったりすると思う。Waiveに関わっていた時間があった人にとって、武道館のライヴは報われる瞬間な気がする。それはべつにWaiveじゃなくてもいいんですよ。wyseでもPsycho le Cémuでも、誰でもいいんですけど、誰かがやれよってすごく思うから」
●やる人はいないし、自分ならやれるみたいな自負はあるわけですよね。
「明確にある。勇気があると言ったら変だけど、挑戦というものに対してのネジが外れてると思う。他の人らがチキンレースで先にブレーキを踏むところを、そんなん行ってもうたもんの勝ちやろうみたいなとこがあるから」
●ネジが外れているというか、外せるんですよね。
「そうだと思う。それは、すごく思う」
Waiveを応援することは、 自分たちにも意味があると気づいたバンドマン
●ここまでのお話は、武道館の後に波及していくものについてだったと思うんですけど、逹瑯さんとか団長さんとかが応援したいとはっきり表明されていることについて、現役のバンドマンの人たちに対して影響を与えることができてきたと実感していますか。
「実感し始めてるぐらいかもしれないですね。まだ実感しているというほどでもないかな。バンドマンから見られてるという感覚もあるけど、様子見ですよね」
●Waiveが成功することが、回りまわって自分にも返ってくることまでは伝わっている?
「それは、ほとんど伝わってないでしょうね。クレバーな奴しかそこには気づかない。それは、はっきりと言える。バンドマンって、みんな嫉妬するから。嫉妬心の薄い人間ほどクレバーだから。いや、逆。賢い奴ほど嫉妬をする理由がないことに気づくんですよ。逹瑯もそうだし、団長もそう。先日、僕はヒィロと二人で初めて会って話したんですけど、覚悟を決めている奴の強さがあると思った。覚悟を決めるイコール嫉妬心みたいなものが薄れるんですよ。邪魔するものが減るし、それによって新たなことができたりする。ただ、ν[NEU]が活動してきた時代は、周りの人たちからの応援を手に入れにくい時代だったと思う、要するに嫉妬するバンドマンが多い世代」
●それは、世代が理由なんですか
「そうだと思う。僕らの世代で言うと、MUCC、Psycho le Cému、wyseとかは、彼らより十年ぐらい経験が長いし、その十年間で失ったものと得たものがあるから、同じ世代のバンドが売れることで自分たちに恩恵がある事実を知っているんですよ」
●世代っていうのは、いまの年齢ということですか? 生きてきた時代が関係しているんじゃなくて。
「時代も関係あると思う。そもそもその時代に売れたアーティストが圧倒的に少ないから土壌自体にファンが少なくて、復活ライヴでもそんなに人が入らなかったり、どんどん会場が小さくなって、気づいたらキャパ300ぐらいのライヴハウスで対バンイベントに出てるような世代だから、ν[NEU]の渋谷公会堂を応援できるだけの肝っ玉を持ってないんだと感じた。応援してる姿勢を出したほうが返ってくるものがあることを知らないし、“ν[NEU]のライブに行こうよ”ってファンに言えないんでしょう」
●Waiveとν[NEU]の2マンのときのようなことは、簡単に言えることじゃないんですね。
「僕らみたいに関係の薄いバンドが、解散直前に急に2マンをやっただけなのに、そこから券売が伸びたらしいんですね。ヒィロは、Waiveのファンが買ってくれたって言ってくれる。僕はそこまでの数だとは思っていないけど、3階席で観てたら、Waiveのファンからめっちゃ声をかけられた。それだけの人間がν[NEU]の解散を応援してあげたいと思ってくれたのは、僕にとっても誇らしいことなんですよね。もちろん12月にあいつらがそれだけいいライヴを見せたからだけど、僕もよかったなと思えた。一年後にν[NEU]のファンがWaiveの武道館に来るかはわからないけど、来てくれたらいいなっていう気持ちになれるのも嬉しい。こういうことを蓄積していって、シーンってできたはずだから」
●同じシーンで活動していると、お客さんを取り合うものという気もしますけど、単にそういうライバルとしてだけの存在じゃないんだと。
「ほかのバンドに対する嫉妬は当然あるべきだと思う。自分が一番応援されたいし、自分が一番いい曲をやってると思いたいし、自信を持ってないとできないはずだから。でも、シーン自体が衰退しないことを考えるべきだし、自分のライヴとかぶっていないならそのための行動をするべきだと思う。どこかで話したけれど、DEZERTの武道館の日のインストアイベントの時間を僕らが早めたみたいに、このライヴがコケるとシーン全体にとってヤバい=微力でも応援したいと思うものって存在する。先輩方にさえもあるじゃないですか、2月8、9日のPIERROTのライヴが縁起でもないことに万が一にでも失敗したらヤバすぎるでしょ!? みたいな。先輩も後輩も含めて、むちゃくちゃ大きなくくりで同じと言えるシーンは、一人でも多くファンを獲得していきたい、シーン全体がね。この土壌がなるべく肥えていってほしい。それにはもっとやるべきことがあるはずだから、自分はそれをゆっくりだけど耕していってるつもりでいるし、気づく人も出てきたかな、と感じてはいる」
●そういう変化が出て来ているんですね。
「もっと言うと、Waiveがよく肥えたら、解散後に収穫できるから関わっておこうと考える人が増えるべきなんですよ。Waiveを応援して、僕らの味方のふりをしておけば、得られるものがあることを考えたほうがいいと思う。なんでそれがわからないんだろうな。メンバーに対してもそう思う。解散後に、Waiveから得られるものが絶対にあるんだから、Waiveを肥やしておいたほうがいいよねって」
●それは、音楽をやるかどうかはともかく、善徳さん自身にもメリットがあることを踏まえているということですか。
「そう思ってますよ。音楽をやらないにしても、僕は絶対に何かしらのアイデンティティを残し続けるから。たとえるなら本を書くにしても映画を作るにしても、それを多くの人に触れてもらうにはWaiveが肥えたほうがいいし、何をやるにしてもそう。土壌が肥えれば肥えるほど、後に続く者は生きやすくなる。こういう考え方ができないのは、バカだからとかいう言葉で解決できないレベルのバカだと思う(笑)」
●理屈が理解できないというより、感情的に理解したくないんじゃないですかね。
「若い世代の子たちが嫉妬してしまうのはわかるんです。いや、世代によってじゃなくて、経験値かな。若い世代でも、ある程度のフィールドまで上がってる人だとわかるはず」
●経験の長さだけじゃなくいということですね
「もっと多くの人にわかってもらうには段階を踏まないとダメだから、団長とかが応援してくれるようになったのは意味があるな。ν[NEU]もそうだけど、あの世代の人たちが、Waiveの武道館が成功してほしいと発信してくれれば、僕の意図が伝わる可能性は出てくる。。そういうのが顕著になってきたのは、武道館の日程が発表されたのもあるかもしれない。急に周りの温度感みたいなのが変わってきたのは感じていますね」
武道館で演奏する最後の曲、 最後の音のタイミングを決めるのは…
●年が明けて1月4日が過ぎ、いまはもう武道館まで一年を切りました。そこで感じているのはどういうことでしょう?
「めちゃくちゃ焦ってるかも。でも、ほかのメンバーはどうなんかな。いや、みんな焦ってはいるんでしょうけど。とにかく僕は、上半期にライヴがないことにかなりの違和感があるんです。制作期間だからツアーを入れないことは去年から決めていたけど、なんでツアーを拒否したら一本もライブがないねんっていうふうに僕は思ってるんです。だから、平日でもいいし、会場があったらライヴを入れようと言ってるんですけど、実際にはなかなか難しいんですよね」
●ライヴがないので当然ですけど、ちょっと動きが見えない感じはします。
「しばらくは制作なんでね。いまベースを録っていて、来月はギター録りをしてます。違う、来月は歌録り。それを考えたら遅れてるな。打ち込みの曲はまだドラムもないし、それを誰が打ち込むかも決まってないし」
●またいろいろ書けない発言が出てますけど、そういうネガティブな感情があるまま武道館を迎えたとしたら、ライヴが終わったときには感慨みたいなものを感じるんですかね。
「感慨みたいなのは、僕はないんだろうなっていう気がしてる。メンバーのことは嫌いじゃないけど、バンドをやると友達でいられなくなるところはあるんです、合わないところとも関わらないといけないから。みんなに対してリスペクトはあるし、こういう優れた人たちと若い頃に出会えたのは運が良かったと思ってるけど、活動しなかったら気にならなかったことでも、活動しているとムカつくときもあるから。解散後、しばらくはもうこういう思いはしなくていいんだ、みたいなことはたぶん全員が思うと思いますよ」
●そうなんですね。
「2005年の解散のとき、最後の曲は「いつか」だったんですけど、サポートの康雄のタイミングで曲が終わるのがすごくイヤだったんです。でも、辞めようと考えたことのある人たちにそれを委ねるのもイヤだったし、まだWaiveを続けたいと思ってる僕だと終えられないとも思ったから、貮方にドラム台の上からジャンプして終わらせてもらうことにしたんですよ。最後に、ジャーンってかき回しのときに貮方がドラム台の上に乗って、全員の目を見て、“行くで、行くで”って声をかけてジャンプして終わりました。それが、あのときの精いっぱいだったけど、今回はやっぱり僕が終わらせるのかな。それを最近はよく考えてるんです。ライヴをやるたびに、最後の曲の音を鳴らして、どうなんだろうなと思いながらやってる。僕が合図を出して終わらせたら、そのときに初めて何か思うのかもな。僕がやるって決めたときかもしれない。そういうことをちょっと感じ始めてますね」
●善徳さんがやるとして、その瞬間、メンバーさんとアイコンタクトをするわけじゃないですか。そのときに特別な感情が湧くとか?
「ちょっとわかんないかも」
●外から見ている人間は、解散ライヴに、メンバーさん同士のドラマチックな物語みたいなのを求めたくなるんですよね。
「なんて言っていいかわかんないけど、そういうのがあるのはわかりますよ」
●それは、外側にいる人間の過剰な期待なんですかね。
「いや、違うと思う。本来はそうであるべきだと僕は思ってる。僕は、そういうストーリーを書いていくつもりだから、武道館では感慨深くなるもんだろうと思ってやってるけど、どうなるかはわからないですよね。いろんなことがあって、想像がつかなくなってるし、想像すれば想像するほどもう考えたくないなってなるし。だから、ちょっとビミョーな発言も出ちゃうんですよ(苦笑)」