2月28日にリリースされる「藤に不如帰」は、poco作曲の新曲。
春ソングに特別の思い入れがある彼が、
制作に込めた思い、リリースに至るまでの経緯を、じっくりと語った。
そこにあったのは、音楽を信じ、音楽へ託す、まっすぐな心。
儚くも美しいサウンドと森 翼の歌声が、
あなたの心に響く理由のひとつを、
彼の言葉から確かめてほしい。
MIMIZUQを知らない人にも、いい曲だと思われたい
●「藤に不如帰」を書いたのは、かなり以前だそうですね。
「そうですね、2年とか3年前ぐらい? これは翼君のために作った曲なんですけど、翼君と一緒にMIMIZUQとして活動していて、翼君とやれる時間はきっと永遠じゃないなって思ったんですね、僕が勝手に。言葉が乱暴ですけど、活動がつまらないと感じたらやめちゃうんじゃないかなって、僕は感じてたから。ほんまはどうか全然わからないですよ、翼君が一番やる気があるかもしれないし。ただ、すごくいいヴォーカリストやし、音楽の才能に満ち溢れてるから、MIMIZUQでは物足りなくなってやめちゃうんじゃないかなと思ったりして。後から加入してくれたということもあるし、歳も下やし。すごく開拓者精神とか反骨精神があるから、突然やめることになっても驚かないなと思ってました。そもそも俺が明日死ぬかもしれないし、どのみち彼と一緒に音楽ができる時間は限られているから、できる間に、翼君に歌ってほしい曲を書こうと。そうしないと俺が後悔するかなと思ったんですよね」
●いい曲を書くことで、翼さんへの気持ちを伝えようみたいなところがあったりしたんですか。
「良い言い方にするとそうかもしんないですね。悪い言葉で言うと、僕も自分がMIMIZUQにいる意味って何なの?って考えることはあるんですね。自問自答は常にしてます。そこで、やっぱりいい曲を書くことがこのバンドに対する貢献なんじゃないかなと思ったことがつながったのかもしれないですね」
●翼さんに歌ってほしい曲として考えるときは、曲全体のイメージを意識するんですか、それともメロディとか?
「全体の雰囲気ですかね。曲調含め、歌詞の世界観も含め、僕はこういう曲が作りたかったんです。もともと僕は、MIMIZUQというバンドをキャラクターごと、Eテレとかに持っていきたかったんですね。MIMIZUQをそういう世界に持っていくことで、ヴィジュアル系に対して向けられがちな色眼鏡をはずせるんじゃないかと思って。だから、『みんなのうた』に採用されるような曲というのも、この曲を書くときのテーマにありました。MIMIZUQをどういう風に見せて、どこに出ていくのがいいのかは、ずっと話し合ってきたから。そこで、Eテレとか『みんなのうた』にピンときたところからの流れがこの曲なんですよね。僕は、春ソングで自分の代表作があるくらいに春っぽい雰囲気のものが好きだし、そういう背中を押すような卒業ソングになってほしいというのまでは見えてました」
●『みんなのうた』と聞くと納得するところもあるんですけど、J-POPみたいなキャッチーさは、翼さんが歌うことを考えたがゆえに、いわゆるヴィジュアル系っぽくない曲にということで出てきたものなんでしょうか。
「そもそも翼君が入ってから、いわゆる”ヴィジュアル系っぽい曲”をそんなに作ってないですからね。ヴィジュアル系っていうだけで、MIMIZUQに先入観を持って、聴かず嫌いしたり、自分とは関係ないジャンルだなって思われてるんじゃないかなという意識はありますよね。そういう聴かず嫌いをされてるんじゃないかと思うから、この曲にはベースもドラムもギターも入ってないんです」
●ヴィジュアル系って、メンバーそれぞれにファンがいて、全員がちゃんと前に出ていないとダメみたいなところがあると思うんです。そういう意味では、楽器陣の音が入ってないのはすごく挑戦的だと感じるんですけど、それはヴィジュアル系とは違うとわかりやすく示すためでもあるんですか。
「なるほどですね! そういう考え方がまずあるのか・…。それぞれのメンバーを応援することを否定したいわけじゃなくて、ただ曲が聞こえてきたときにいい曲だって思われたい。MIMIZUQがどんなバンドか知らんけど、この曲が、この音が流れてきたら、いいなって思ってもらいたい。MIMIZUQという名前があることで、この曲が流れてきたときにヴィジュアル系のバンドの曲だねって思われるのはちょっと違うかなって」
●そのほうが、純粋に曲を聴いてもらえる機会は出てくるのかもしれないですね。
「そう。自分自身についていうと、自分のファンっていう人が果たしているのかな、とはずっと思ってるんです。MIMIZUQだけじゃなく、今やってるバンドで、ドラムが俺じゃなくてもファンの人たちはライヴに来るだろうし、そうなると俺の存在意義って何だろうなって思う。それは、ドラムを上手くなって演奏をよりグレードの高いものにするとか、いい曲を書くことでしかないのかなって思うし、どちらもバンドを支える考え方ですよね」
●それを、pocoさんだけじゃなくて、「藤に不如帰」ではAYAさんやseekさんにも押し広げたということになる?
「この曲をMIMIZUQの作品として出したときに、メンバー個人を好きな人にいいなって思ってもらえるかどうかは、すごい挑戦ですよね。自分の推しの音が入ってないやないかって言われるかもしれない。でも、そう思うんやったら、それはメンバー一人を好きなだけで、MIMIZUQが好きなんじゃないだろうということですよね。MIMIZUQのメンバー四人みんなでこれを出すと決めて出してるのに、ええ曲やねって共有できなかったら、一緒に歩んでないみたいに感じますよね」
森 翼が見せる新たな一面
●音楽的なところでは、翼さんの歌をイメージしたときに意識したのはどんなところですか。
「翼君の声とか歌い方って、すごい儚さと切なさを内包してるのに、翼君のソロだと切り口が結構ニヒルだったりするんですよね。僕のほうが、性格的にはもっと乙女っぽい。だから、翼君はそのまま儚くていいし、もっと湿っぽくていいのになって思うから、そういうおねだりをしてみました」
●それはすごくわかりますね。思い切り歌い上げるのとは違って、儚さがすごく出ている歌になっていると思います。
「そうなんですよね。そういう歌を書いたのは、僕の中に虚無みたいな気持ちが小さい頃からずっとあるから。そういうものがあるのが当然やから悲しいことじゃなくて、何があっても、それはまたなくなるんだなって思う。卒業のときの別れは一番わかりやすいかもしれないですけど、誰の身にも訪れるものだし、そういう儚い気持ちがある。僕はそういう気持ちを感じやすいんです」
●この歌を提示したときの翼さんは、どんな感じでした?
「どうかな? でも、“そっち方向ね、OK、わかりました”って感じじゃないすかね。わりと何でも器用だから。もう少しボソボソッと、ため息が漏れてるような歌い方だとどうなるかなとか、それぐらいの会話しかしてないです。彼の声には少年性があると思ってるんですけど、歌うと大人びてるんですよね」
●少年っぽいと思われがちだから、あえて逆な方向にいってる気もしますね。
「天邪鬼なところがあるのかな。彼自身ではこういう歌い方とか曲調とか歌詞はやらないと思うんですけど、彼のレパートリにこういう歌があったら絶対いいと思って作ったんです。いろんなタイプの歌が似合うと思うけど、特にアコースティックな響きはすごく合いますよね。ボカロのように音程もテンポも完璧みたいなんじゃなくて、タイミングとか音程が揺れてるものが似合うというか。アコースティックライヴは、翼君の良さを引き立てるものだと思うし、だからずっとやってるし。今回の「藤と不如帰」も、ギターもベースもドラムも入れたらちょっとカチッとしすぎる感じもするし、不必要ならなくても大丈夫かなっていうような気持ちですね」
●そういうことをイメージするバンドはあると思うんですけど、実際に作品にする、できるというところがすごいと思います。
「確かに、メンバーにキーボーディストもいないのにね、なんでこれがシングルなんやろって思いますよね」
●バンドによっては、作曲者は実は入れたくないけど、それではギタリストが黙ってないからギターのフレーズを入れるしかなかった、みたいなことは取材で耳にすることがなきにしもあらずなので、余計にそう思うんですよ。
「なるほど。その点で言うとみんなが優しいのかな。アレンジャーに敬意を表してくれてる」
●それと、ちゃんと音楽をやりたい、音楽を届けたいということですよね。自分のプレイヤーとしてのエゴよりも、音楽を優先できるということですよね。
「AYA君は世界観作りの観点をすごく大事にしているし、seekちゃんはリーダーとしてトータルで見るんでしょうね。僕もアレンジを聴いて、俺のドラムでもっとよく聴かせられると思ったら提案しますもん。これで出来上がってる、これが絶対いいと思えるからですよね。他のメンバーもそういうことだと思います」
●歌詞については、春というテーマから卒業を取り上げたんですか。
「卒業、別れみたいな内容ですね。それで一回考えてみてくれへんって翼君に投げて、録りながら二人でいろいろ考えました。僕はちょっと加えただけで、基本的にこの曲をこういうテーマで翼君に歌ってほしいと思って書いていたから。でも、タイトルだけは考えてたんかな」
●不如帰ってあんまり歌詞に出てくる印象の鳥ではない気がするんですけど。
「藤に不如帰っていうのは、花札の4月の札なんです。この言葉だけを聞いても、その風景が浮かぶし、花札を見たらちょっと湿っぽいというか雰囲気があるし、タイトルとしてインパクトもあるし。どんな曲か全然想像がつかないんですけど、漢字に体言止めって椎名林檎っぽいところもあるし、なんかオーラがありますよね。昔から、“鳴かぬなら鳴かせてみよう”とか三人の武将の性格の違いに出てきたり、有名な鳥でもあるし。僕、天邪鬼なんで、桜ソングなのに桜を使いたくないと思ったんですよね。みんなこぞって卒業ソングを出すから」
●曲調としてはすごく新鮮でしたけど、表現している感情としては、もともとMIMIZUQが描いてる世界と通じるものがあるから、不自然ではないんですよね。
「きっとそうだと思います。『時巡りの列車』のお話の本流の中に全然入れられるじゃないですか。成長するうえで、何かを卒業する年齢はあるから。どんなアルバムの中に入ってても別に浮かないと思いますよね」
●ライヴでどんな形になるのかは気になるところですけど。
「いろんなパターンがあると思います。翼君だけで歌ってもいいと思うし、ご当地ごとに在住のピアニストの仲間に一曲だけ来てもらってもいいと思うし。アコースティックのほうはアコギとアップライトでやると思うんで、フルバンド編成のほうはまだこれから考えるんですけど、いろんなパターンがあると思います。もっと弦楽を使ってシンフォニックになって、さらに俺たちの出番がないアレンジになってるかもしれないですね(笑)。そういう余地があるし、いろいろ想像ができる曲だと思います」
森だと思っていたら、熱帯雨林だった?
●翼さんが帰ってきたら、またライヴがまた始まりますね。
「2月29日の柏PALOOZAからですね。でも逆に、MIMIZUQとしてタイに行けるといいなと思ってます。彼はそういう野望を持ってるし、そのために頑張ってるし、それをすごく伝えてくれているし。そうなったときにはね、バンドもファンの子たちもフットワークよく行きたいですよね。森と思ってたら、熱帯雨林やったみたいになると思うけど(笑)」
●確かに。イメージしてた森とちょっと違った、みたいな。
「チャオプラヤ川だったのか、みたいな(笑)。Coconut Sundayのメンバーもみんな穏やかでハッピーで、すごく気のいい人たちだったし、そういうのってつながっていくんだなと思いましたね。人が人を呼ぶじゃないけど、類友なんですよね」
●枠を超えていってるのは「藤に不如帰」もそうですし、バンドとしてどんどん広がっているのが実感できてますね。
「そうですね。そのときそのときできることをしっかり残して、いろんな人に届ける努力をしていきたいですね。それで、ライヴに来てくれた人に、生演奏のよさをお届けしたいです。それが、自分がバンドの中で存在してる意義でもあるのかなと思います」
●pocoさんがいなければ、こういう作品は絶対出てこなかったと思うので、それだけで絶対的な存在意義が現れていると思いますよ。
「そうだったらいいんですけどね。村山さんがいつもおっしゃってくれてるみたいに、プロデューサー目線じゃないけど、俯瞰で見てる意味が僕なんだと思うし、他のメンバーとちょっと違うところかもしれないですね」
●そういう人がバンドにいるのはすごく力強いことだと思います。
「それによって、引き出しの幅が一つ広がればいいですよね。いい変化球を投げられることが、一番いい役割なのかもしれないです」
●最後にちょっと聞いておきたいんですけど、インタビューの最初に翼さんがやめちゃうんじゃないかと思ってたというお話がありましたよね。いまも、翼さんに対してそういう危うさみたいなものはあるんですか。もちろん、どんなバンド、どんなメンバーでもそういう可能性が全くなくなることはないと思うんですけど、気持ちに変化があったりするのかなと。
「そんなに当時と印象は変わってないですね。でも、4人ともが、もっと素直にいろんなことを言い合える仲にはなってると思う。だから、突発的な危うさみたいなものは減ってるかもしれないですね。ちゃんと話し合える人たちだし、理解できる人たちだし、いろんなことを相談してるし、これまでも相談してきたし。人生の共同作業者なので、ひとりの決断だけではね、何もできない。そういうところが共有できているかなとは思います」