自他ともに認める男前であり、いつも明るく、キラキラの笑顔を見せるYURAサマは、
ドラマーであるだけでなく、歌って踊れるエンターテイナーでもある。
その一方で、自分やバンドを客観的かつ冷静に見つめ、分析する能力も有している。
すでに30周年を見据えているというだけあって、バンドを思い切り楽しみながらも、
落ち着いてPsycho le Cémuの未来へと進む姿は、彼らしく輝いている。
●25周年を迎えるにあたって、何か感慨めいたものはあったりしますか。
「別にないですね(笑)。あるとしたら30周年なんじゃないかと思ってます。25年って、そんなに区切りがいい感じがしないからかもしれない」
●25年という長さについてはいかがですか。
「変わらず同じメンバーでバンドをしてるのはすごいことだと思います。でもこれは、よく思いますね、普通にツアーを回ってるふとした瞬間とか。まだこの5人で、この車に乗ってるんだなとか」
●それは予想してなかったこと?
「さすがに想像してなかったですね。僕たちがバンドを始めたときに憧れたのは、20代のバンドマンばっかりだったんで、40代のヴィジュアル系バンドマンがいなかったし、考えもしなかったですよね」
●40歳を過ぎてもPsycho le Cémuをしている自分というのは、だんだん見えてきた感じですか。それとも、気づいたらやってるみたいな感じ?
「20周年あたりからは、ずっとやるんだろうなって思ってました。むしろ、再始動を始めたときぐらいからやり続けるんだろうなっていう気はしてましたね」
だいたいのことは、やったらできるタイプです
●この25年間に自分として変わったのはどういうところですか。
「怒らなくなりました(笑)」
●そんなに怒ってたんですか。
「怒ってたんですよ(笑)。特にバンドの中で怒ってました。それはデビューする前ぐらいで、Psycho le Cémuの活動が止まったときに、ガラッと変わりましたね。このままじゃ生きていけないんだとわかったから。ちゃんと人とお付き合いしなきゃって(笑)。それまでは、好んで人付き合いはしてなかったし、する必要性を感じてなかったんですよね。
●でもそれでやってこれていたわけですね。
「幸せな立場ですよね。だから、(Psycho le Cémuの活動が止まったときに)ちょっと遅めの社会人デビューをしたと思っています」
●そこで一つ決心があったと。
「そうですね。そこで音楽をやっていくかどうかも考えましたし、活動への向き合い方も大きく変わりました。社会人デビューして、最初はいろいろ恥ずかしい思いをしましたよ。FAXの送り方がわからなくてずっと電話してたり(笑)」
●でも、いまは会社経営をしたりしているので、向いてたんじゃないですか。
「だいたいのことは、やったらできるタイプなんです(笑)。周りの人を見てると、適応能力が高いほうなんだと思います。自慢とかでもなくて、客観的に見てそうなんだなと思います」
●そんなに頑張らなくてもできてしまう?
「いや、もちろん頑張るんですけど、他の人が10頑張るところをたぶん5ぐらい頑張ればどうにかなっちゃうんです。これは自慢でも何でもなくて、悪いところでもあるんです。上手く言えないですけど、誰を見ても何をやっても勝てると思うし、何をやっても誰にも勝てないとも思うんで、本当に変な感じです。得意に思ってる部分とコンプレックスに思ってる部分と両方ある感じです」
●それは、Psycho le Cémuというバンドをやるにあたってはどうなんでしょう?、役に立つとか。
「Psycho le Cémuは、音楽に突出するだけじゃなくて、ヴィジュアルにこだわる演出もあるし、いろんなことをやるから、何かひとつだけ頑張ってればいいバンドじゃないんですよね。いろいろやらなきゃいけないから、自分にすごく向いてると最初から思ってました。そういうことがやりたかったし、最初にその話をした記憶があります。ドラムだけじゃなくて、踊りもやろうっていう感じで、あれやろ、これやろって言ってました」
●YURAサマというキャラクターというか見せ方も、最初から出来上がってたんですか。
「バンドをやり始めた頃は、目立つことしか考えてなかったですね。でも、思ってたキャラクターにはなってないんですよ。もっとカリスマ的なポジションになる予定だったんです。この5人の中でカリスマと呼ばれる人がいるのであれば俺じゃね?って思ってたから」
●その自信はいったいどこからくるんでしょう?
「ね、どうなんすかね(笑顔)。最初は僕たちもカッコつけてバンドをやってたんですけど、だんだん面白おかしいことをやるようになって、ツンとしてカッコいいポジションの人は求められなくなって。それはそれで、面白おかしいこともそこそこできちゃうんですよ。だから、ありがたいことに面白いって言ってもらえるんです。でも、これはよく言うんですけど、それは否定するし、僕自身は本当に何の面白みもない人なんです。ただ、面白かった出来事を面白く伝えることができるだけ。自身が面白いということはないです。物真似ができるわけでもないし、一発芸もできないし」
●Psycho le Cémuが活動休止して、バンドではないスタイルでDaccoを始めたのはどういう理由から?
「リーダーが隣にいたから。面白いと感じることがメンバーの中で一番共通してたんですよ。面白いことをやりたかったから、いいかなと思ったんです。だから最初は、とりあえず楽しいことをやってたら人は寄ってくるだろうと思ったんですけど、自分たちが楽しいだけじゃダメなんだって気がつきましたね。みるみるお客さんが減っていって、それで初めて僕とリーダーだけが楽しんでるって気づいたんです」
●二人での活動となると、バンドとはやっぱり違うんですか。
「違いますね。二人だとスピード感が恐ろしく速いです。Psycho le Cémuの活動がまた始まったときに、スピード感の遅さにちょっとビビリましたもんね。特にPsycho le Cémuは、ちゃんと5人で話し合って決めましょうというのがやり方なんで、それはいいことではあるんですけど、この時代の流れとして、そのスピード感は圧倒的にヤバイとは思ってますけど。Daccoをやったから余計そう思うのかもしれないですけど、Psycho le Cému以外にやってるバンドと比べてもそう思いますね。Psycho le Cémuは、本当にちゃんとみんなで話し合って決めようというスタンスなんで。」
●それは最初からずっとそう?
「ずっとそうですね。昔はそれぞれがPsycho le Cémuしかやってなかったから、まだよかったのかもしれない。いまはね、5人で話をしようというスケジュールだけでもなかなか。でも昔からこの形でやってきてるし、これがPsycho le Cémuのやり方なのかなと思います。バンドの数だけやり方があるので、Psycho le Cémuはこのやり方なんだろうなとは思ってます」
●バンドの活動において、復活してから変わったこともあります?
「メンバーみんなの視野が広くなったんで、みんながいろんなことに口を出すようになりましたよね。その都度、みんなで話し合いが広がるから、さらにどんどん時間がかかるようになってます。みんな、知識が増えたからね。自分のことはちょっとわからないですけど、他のメンバーはよりミュージシャンになってる感じはしますね。音楽に対してより向き合ってると感じますね。僕自身はあんまり変わってないし、そういう意識はもとからそんなにないです」
●長くミュージシャンとしてやってくると、知識もついてくると思うんですけど、そこでもっと頑張ろうと思ったりとか。
「そういう意味では、見切りが早いのかもしれないですね。早い段階で、自分はこのレベルまでは行けないことがわかったから。でも、そもそもそういう考えだからPsycho le Cémuをやってると思ってるんで、逆に他のメンバーが音楽に真摯に向き合い出してるのが意外ですよね」
●そこで焦ったりはしないんですか。
「ついていけるから、大丈夫です。変な言い方ですけど、Psycho le Cémuで求められるぐらいはついていけます(笑)」
●やっぱり自信があるんですね。
「いや、本当に自信にあふれてる自分とコンプレックスを抱えてる自分がいるんですよ。だから、いまだにバンドに溶け込めない自分もいます」
●え?
「バンドにおいて、何をすべきかわからないことは結構多いです。僕の立ち位置はどこなんだろうかっていつも思ってるし、いまだに悩みますね。でも、落ち着くところに落ち着くんだろうなっていう精神でいるんで、じっとしてますけど」
●バンドって、メンバーそれぞれに役割みたいなのがあるイメージなんですけど。
「それが、Psycho le Cémuではちょっと見えにくい。他の活動でそういうことを思うことはないんですけど、Psycho le Cémuに限っては不思議とそんな感じですね。活動休止する前はまだわかってた気がしますね。当時は、尻拭いの役割が多くて、後始末が全部僕に来るみたいな感じでした。でも今はたぶん「バンドを楽しめばいいだけの人」だと思います(笑)。
30周年にはでっかい花火を打ち上げたい
●前回のコンセプトの『RESISTANCE』は、YURAサマのプロデュースでしたが、振り返ってみるといかがですか。
「いろいろ考えて作ったんですけど、そこまで深く受け止めてくれるファンの人もそんなにいなかったので、もっとわかりやすくていいのかなとかはちょっと思ってます。わかりやすく悪者がいて、倒しに行って、世界に平和が来ました、ヤッターみたいな」
●YURAサマ自身は、わかりやすいものより複雑なもののほうが好きなんですか。
「たぶんそうですね、僕は好きですね。好きな人ほどより深くいろんなことに気づけるような作り方が好きです。僕は、ゲームの攻略本が好きなんですけど、分厚ければ分厚いほど好きなんですよ。このゲームの世界のことをもっともっと教えてくださいって思うんですね」
●そういう攻略本的な解説本があれば、ファンももっと深く『RESISTANCE』を楽しめたのかもしれないですね。
「それは反省点の一つです。特に、『RESISTANCE』は長くやったから、単純にね、時間が空いたら忘れちゃうとかもあったと思うんで。またいつか、そんな長編もやってみたいと思いますけどね。作りがいがあるというか、面白いですよね」
●新しいコンセプトはまだ詳しく発表されていませんが、5人のヴィジュアルを見る限り、それぞれ個性的なキャラクターですよね。
「5人それぞれ、違う惑星の人たちなんです。僕は緑に覆われてるんで、そういう星の人ですよね。みんなで話し合って決めたんですけど、僕は顔を綺麗に見せる担当っていうのもあって(笑)、こういう感じです」
●そういう視点もあるんですね。これまでも常に顔は出してました?
「基本、顔は見えてますね。それが必要なことなのか、自分ではわからなかったんですけど、ほかの人に当てはめて考えたときにすごくわかったんですよね。AYA君は、女の子としてかわいいキャラクターでいなきゃダメじゃないですか。だから僕が、カッコよくて綺麗でいるのも、そういうことかって」
●そうやりたいということではなく。
「関西人なんで、やっぱリーダーとかseekのほうがオイシイなぁって思っちゃうんですね。うらやましいですよ。Psycho le Cémuがそういうバンドなんで、面白いほうがえらいんです(笑)。でも、僕のポジションは僕しかできないですし、全然イヤなわけでもないですし、カッコいいって言われたら嬉しいですしね」
●インタビューの最初に、30周年という言葉が出ましたが、25周年を前にさらにもっと先を見ているんですか。
「30周年、楽しみだな。30という数字は大きいですよね」
●30周年のPsycho le Cémuはどんなイメージですか。
「このままいったら、いまの延長線上になると思ってるんで、それは思ってる30周年じゃないんですよね。30周年を普通に迎えることはできると思うんですけど、そうじゃなくて、Psycho le Cémuが30周年なんだっていうでっかい花火を打ち上げたいわけで。となると、延長線じゃないことをやっていかないといけないと思ってます」
●でも、30周年を迎えるだろうと思えるのは、バンドがものすごく安定してるからですよね。
「そうですね、バンドマンが楽器さえあればライヴできるよって言うのと一緒で、メンバーさえいればPsycho le Cémuはできるんです。だから、メンバーがいる限りはできると思ってます。ただ、30年間やってきた中の一番最高のPsycho le Cémuで、30周年を迎えたいんで、みんなでそこに向かっていけるのか、ですよね。そこまでの道のりをみんなでどうやって計画していくのかが重要だと思ってます。ただ…みんなで考えるとね、無難なところに落ち着いちゃうんです。これは本当に良くないことだと思ってます。無難なことをやってると、普通の30周年になっちゃうと思うし、それはすごく正直に言うと、ちょっと怖いかなって思ってます」
●そうなると、YURAサマが主導権を取ることもあるかもしれない?
「これ以上このままいったらあかんなっていうタイミングまでは、待ってると思います。でも、そこまで来たら、言わなしゃあないってなると思います。ただ、僕の目的は楽しく長くバンドを続けることなんで、バランスを崩してバンドの寿命を縮めるようなことはしたくないとも思ってるんですね」
●実際、いまバンドをやっていて楽しいですか。
「楽しいですね。楽しくないことって、やらなくなるじゃないですか。これだけ長くバンドとかドラムをやってるのは、やっぱり楽しいからだと思います。ドラムについては選ぶパートを間違えたと思ってますけど、ドラムをやってたからこそいまがあると思うから。ヴォーカリストが踊ってても面白くないけど、ドラマーが踊ってるから面白いんだし。そういうのはよかったですよね」
●ドラマーとしては、後ろからメンバー4人の背中をずっと見続けてきて、その背中が変わったと感じるようなことはありますか。
「むしろ、メンバーの背中をちゃんと見るようになったのかもしれない」
●最初は見てなかった?
「“僕の前に立たんといて”って言うタイプだったから。最初はリアルに、“僕が見えたほうがいいでしょ”って、真顔で言ってました(笑)」
●ようやくメンバーの背中を見られるようになったと。25年という歳月の長さを感じさせますね(笑)。